2009年12月17日

乱の勃発

過酷な取立てに耐えかねた島原の領民は、武士身分から百姓身分に転じて地域の指導的な立場に立っていた旧有馬氏の家臣の下に組織化(この組織化自体を一揆と呼ぶ)、密かに反乱計画を立てていた。肥後天草でも小西行長・佐々成政・加藤忠広の改易により大量に発生していた浪人を中心にして一揆が組織されていた。島原・天草の一揆の首謀者たちは湯島(談合島)において会談を行い、キリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた当時16歳の少年天草四郎(本名:益田四郎時貞、天草は旧来天草の領主だった豪族の名)を一揆軍の総大将とし決起することを決めた。寛永14年10月25日(1637年12月11日)、有馬村のキリシタンが中心となって代官所に強談に赴き代官・林兵左衛門を殺害、ここに島原の乱が勃発する。

ただし、この一揆は島原半島雲仙地溝帯以南の南目(みなみめ)と呼ばれる地域の組織化には成功し、ここに属する領民たちは反乱に賛成する者も反対する者も強制的に反乱軍に組み込まれたが、これより北の北目(きため)と呼ばれる地域の組織化には成功せず、北目の領民の指導者層は雲仙地溝帯の断層群、特にその北端の千々石断層の断崖を天然の要害として、一揆への参加を強要しようとして迫る反乱軍の追い落としに成功し(南目の集落の中には参加しなかった集落もあり、また北目の集落から一揆に参加したところもある。)乱に巻き込まれずに済んだ。

腎臓病
相撲
図書館
縄跳び
悪性高熱症
風水
アメリカンフットボール
衛星放送
アスペルガー症候群
闘牛
島原藩は直ちに討伐軍を繰り出し、深江村で一揆軍を迎撃するが敗走した。一揆軍の勢いが盛んなのを見て島原藩勢が島原城に篭城して防備を固めると、一揆軍は島原城下に押し寄せ、城下町を焼き払い略奪を行うなどして引き上げた。島原藩側では一揆に加わっていない領民に武器を与えて一揆鎮圧を行おうとしたが、その武器を手にして一揆軍に加わる者も多かったという。一揆の勢いは更に増し、島原半島西北部にも拡大していった。一時は日見峠を越え長崎へ突入しようという意見もあったが、後述する討伐軍が迫っていることにより断念する。

2009年12月01日

動物虐待

動物虐待(どうぶつぎゃくたい)とは、動物に対して不当な暴力をふるったり、その習性・性質を無視して扱ったり、保護責任があるにも関わらず遺棄したり放置する行為を指す。特に動物に対する加虐行為では、加虐する側の性格的な問題も見られ、虐待を受けた動物の状態によって他の人が不快感を催したり、虐待を行う人間に対して不快感・不信感を抱くケースがある。

この行為の多くは、数量の上では自分の飼っているペットや家畜に対する飼育行為の不備や怠慢に拠るものが最も多いとされ、一部には自分の所有するそれら動物に対して暴行を働いたり殺害する行為が含まれる。その一方では他人の所有物であるペットや家畜、または付近の野良猫や野生動物への加虐(暴行・殺害)行為も存在し、特に所有権の問題も絡んで、多くの社会では犯罪行為(器物損壊)と見なされる。
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近年では人道上の見地や犯罪抑止の観点から、自己の所有する動物に対する虐待行為も犯罪として見なされるようになり、また飼育動物の遺棄に関しては、遺棄された動物が周辺に迷惑を掛ける事もあるため、これも犯罪行為と見なす所は多い。この他、道徳の範疇に於いて無意味な暴力・殺害が忌避される事から、動物に対するそれら行為でも、一定の嫌悪感を他の人に与える。

動物でも、哺乳類等の、一般的にペット等の愛玩動物として扱われる事が多い種類の物では、それらを不当に扱う・扱われる事に、一定の不快感を覚える人が多いとされる。その一方で、自身のストレスから加虐を行う人も一定数存在する他、加虐する・またはその行為を見る事で性的興奮をおぼえるとする人も存在し、代替として昆虫やカエル等を用いるアダルトビデオが合法的に流通している現状がある。

2009年11月27日

無人偵察機が注目を浴び

現在では、無人偵察機が注目を浴び、積極的に利用されるようになっている。従来の有人偵察機は、小型無人偵察機の母機として使用される事が多くなっている。

特に無人偵察機にする場合、人間が乗るスペースを必要としないために機体の大幅な小型化が可能で、レーダーに探知されにくくなる。また乗員の休憩時間を考えなくても良いため、長時間に渡る(極端に言えば燃料が切れるまで)偵察が可能である。これは軍用機としては大きなメリットである。

また偵察衛星では地上からほぼ垂直の偵察になるため、切り立った崖や峡谷、あるいはフィヨルドのような場所に横穴を掘り、そこに戦車などの兵器を隠したり身を潜めたりすると、探し出すのがとても難しくなる。しかし偵察機では地上から斜めの偵察が出来るため、そういった場所でも探し出すことが出来る。更に狭い場所の場合、上記の機体が小さくなることでメリットになる。
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空中より周辺を監視することによる軍事上のメリットは明らかである。そのため、人類初の実用的空中飛行機材である気球が開発されて間もない18世紀末にはすでにフランスで偵察機としての運用が開始されている。

南北戦争においては偵察用に水素気球が用いられている。初期の航空機は能力が低く、飛行することのみしかできなかったために、乗員による目視偵察しか行うことができなった。
第一次世界大戦時には気球に代わって、飛行機が偵察機として広く使われるようになった。当時はまだ飛行機がようやく誕生したばかりの時期であり、その飛行機の初の実用任務が軍用偵察機であった。最初の頃は敵同士の偵察機パイロットが互いに手を振りあうような牧歌的光景も見られたが、やがて互いの偵察行動を妨害するために敵偵察機を攻撃する状況になり、戦闘機の誕生をみる。

2009年11月13日

初期の史料と後代の改訂

現存する最古の楽譜史料は、9世紀後半のものである。それ以前は、聖歌は口頭で伝承されていた。多くの研究者が、記譜法の発達がヨーロッパ全土へ共通の聖歌が普及する要因となったと考えている。最初期の楽譜は、主にドイツのレーゲンスブルク、スイスのザンクト・ガレン修道院、フランスのランおよびリモージュのサン・マルシャル修道院に残されている。

グレゴリオ聖歌は、「堕落した」歌を「元の形」に糺すという名目で、しばしば改訂を加えられた。初期のグレゴリオ聖歌は、教会旋法の理論的構造に合致するように改変されている。1562年から3年にかけて、トリエント公会議によりセクエンツィアのほとんどが禁止された。ギデットの1582年発行の Directorium chori および1614年発行の Editio medicaea は、当時の美学的基準にあわせて、堕落し、問題があるとみなされた「粗野な部分」を徹底的に改変している。1811年には、フランスの音楽学者アレクサンドル=エティエンヌ・ショロンが、フランス革命中のカトリック教会の無力への過激な保守反動の一貫として、フランス的堕落を廃し、「純粋な」ローマのグレゴリオ聖歌へ回帰することを唱えた。

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19世紀末には、古い典礼書や音楽写本が調査され、校訂されるようになる。1871年、メディチ家のグレゴリオ聖歌写本が再版され、教皇ピウス9世によって、唯一の公式な版と認定された。1889年には、これに対抗し、中世のもともとの旋律を追求した Paléographie musicale (音楽の古文書学)がフランスのサン・ピエール・ド・ソレーム修道院によって出版された。ソレーム修道院の復興聖歌は研究者には高く評価されたが、教皇庁には拒否された。

2009年11月02日

日本海軍の第六潜水艇

1910年(明治43年)4月15日:日本海軍の第六潜水艇が、広島湾でガソリン潜航実験の訓練中に沈没。艇長佐久間勉大尉以下乗員14名全員殉職。後日引き上げられ、最後まで規律を保って配置を守っていた乗組員の遺体と、佐久間が絶命の瞬間まで書き綴った遺書が発見された。その様子は国内では教科書や軍歌に取り上げられるほどの社会現象となり、アメリカ・イギリスなどにおいても大きな話題となった。

1912年(大正元年)4月14日:イギリス船籍客船タイタニック号が処女航海中氷山に衝突し、沈没。1517人が死亡。
1914年(大正3年)5月29日:カナダ船籍客船「エンプレス・オブ・アイルランド号」(14191t)が濃霧のセントローレンス川でノルウェー船籍貨物船「ストールスタッド号」(6028t)と衝突し沈没。1024人が死亡、行方不明。
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1915年(大正4年)5月7日:英国船籍客船「ルシタニア号」がUボートの雷撃で沈没。米国人を含む1198人が死亡。(ルシタニア号事件)
1916年(大正5年)11月21日:イギリス軍に病院船として徴用された客船、ブリタニックがドイツ軍の機雷に触れ沈没。死者30名。
1917年(大正6年)12月6日:カナダのハリファックス港で軍用火薬を積んだ船と貨物船が衝突し、大爆発を起こした。両船だけでなく、付近にいた船、ハリファックス市にも重大な被害をもたらす大災害となった。(ハリファックス大爆発)。

2009年10月23日

株主による所有

(1)株主が、会社を最終的にコントロールする権限(取締役を選任し、会社の運営上重要な事項を承認する権限)を有すること、(2)会社の純利益は株主に帰属することを指して、株主が会社を所有するという[19]。この意味で、会社は、組合、匿名組合、信託などと同様、出資者が所有する共同事業形態であるといえる。もちろん、会社の純利益が株主に帰属する反面、会社に損失が出た場合も、株主は(配当を受け取れない、あるいは株価の下落という形で)そのリスクを負担する。

なお、上記のような法学的な説明とはやや異なる意味で、会社の目的は、株主の利益を最大化することにあるという立場(株主主権論)から「会社は株主のものである」という主張がされることがある。これに対しては、「会社はコア従業員(長期的に会社に関わる従業員)のものである」という従業員主権論や、「会社はステークホルダー(株主、従業員、顧客、取引先、地域社会といった利害関係者すべて)のものである」という主張もされている。このような会社は誰のものかという議論は、経営やコーポレート・ガバナンス(企業統治。後述)の重点をどこに置くかについての議論であるといえる。また、ステークホルダー型コーポレート・ガバナンスと関連して、会社は地域の利益や雇用、環境を守る責任があるという企業の社会的責任(CSR) も主張されている。
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ただし、例えば株主主権論の立場に立つとしても、従業員等のステークホルダーに正当な対価を支払わなければ株主の利益を生み出すことができないというように、「会社は誰のものか」という議論を、専らある者の利益のために会社を経営すべきであるという主張として理解することには実益がないと指摘されている。

2009年06月22日

ユートピア文学

ユートピアという語はその後一般的となり、理想郷を意味する一般名詞にもなった。そこから、架空の社会を題材とした文学作品はユートピア文学と呼ばれる。マルクス主義からは「空想的」と批判されたユートピア思想であるが、理想社会を描くことで現実の世界の欠点を照らす鏡としての意義を持っている。

トマス・モア以降、イタリアのトンマーゾ・カンパネッラは『太陽の都』(1602年)という、ルネサンス期のユートピア文学として『ユートピア』に匹敵する重要な作品を書いている。ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』(1726年)もさまざまな空想都市を描いたユートピア小説ともとれる(たとえば、音楽と数学を愛好する空中都市ラピュータなど)。
日本映画
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18世紀、フランス啓蒙主義の時代にはルイ・セバスティアン・メルシエの未来のパリを描く『二四四〇年』ほか、ヴォルテールなどさまざまな作家・思想家がユートピア文学を執筆した。『ソドムの百二十日間』のマルキ・ド・サドや、『愛の新世界』のシャルル・フーリエなどユートピアとは異質と思われる作家も、ユートピア的世界観・ユートピア文学の手法を使い、閉ざされた世界の中の地獄絵図や、行き着くところまで行き着いた理想社会を描いた。

19世紀は資本主義の勃興の時代であり、その修正のための社会改良案や社会主義や共産主義が生まれるなど、現実の社会が加速的に繁栄をはじめ、その社会を現実に改造するための各種の思想に力が注がれたためか、ユートピア文学は非常に多く書かれたがあまり収穫がない。その中で、ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』(1890年)は19世紀の優れたユートピア小説で、ほかとは異なった中世的で牧歌的な理想郷を構想している。他に今日まで記憶されている作品としてはサミュエル・バトラーの『エレホン』(1872年)、エドワード・ベラミーの『顧みれば』(1880年)などが挙げられる。

2009年06月05日

二本松氏(にほんまつし)は陸奥国二本松城

二本松氏(にほんまつし)は陸奥国二本松城に拠った戦国大名である。 本姓は源氏。家系は清和源氏の一流 河内源氏の名門足利氏の支流にあたる。室町幕府を開いた足利将軍家の下で三管領の座を占めた畠山氏宗家とは同族であるが別系統であり、本来の血筋では二本松畠山氏が嫡流にあたるとされる。

二本松氏は本来二本松畠山氏を称しており、文書等では畠山と二本松両姓がしばしば併用されるが、義継までは畠山氏が正確であった。しかし滅亡後、二本松義孝の代に完全に二本松氏となったため、本稿の項目は二本松氏とし、その系譜については二本松畠山氏と二本松氏の時代を区分して概説する。
二本松畠山氏は奥州管領であった畠山高国・畠山国氏以来の名族である。貞和6年(1345年)畠山高国と吉良貞家が奥州管領に任ぜられて陸奥国に入った。しかし、観応の擾乱が勃発すると、直義派の吉良貞家に尊氏派の高国・国氏父子が攻められて敗死する。高国・国氏の子孫は二本松に逃れ、奥州管領を自称して挽回を図り、南朝方の北畠顕信と手を組んで一時国府を奪回するも、吉良貞家の反撃で再び奪われる。劣勢を挽回できないまま、石塔氏も奥州管領を自称し、中央から派遣された斯波家兼と4人の奥州管領が抗争することになった。結局斯波氏が勝利したが、畠山氏は高い家格をもって遇された。しかし、現実には一国人レベルまで零落していた。
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戦国時代に入っても、周囲の伊達氏や蘆名氏などの有力国人に圧迫され、さらに凡庸な当主が相次いだために衰退していった。天文16年(1547年)、二本松畠山氏十四代を継いだ二本松義国の頃には、古記録によれば『二本松畠山家、次第に衰微して、ようやく安達半郡、安積半郡を知行せられ、この節、会津の蘆名盛氏の武威輝かしかば、彼の風下にぞ属せられける』と言われるほどになっていた。

そして天正13年(1585年)10月、義国の子・二本松義継は有名な伊達輝宗拉致事件(粟之巣の変事)を起こし、それにより伊達政宗に殺され、人取橋の戦いの後、二本松城は陥落する。蘆名氏を頼った息子の義綱も同氏が伊達政宗に滅ぼされた際、常陸国に逃亡する蘆名義広に足手まといとして殺害され、ここに二本松畠山氏は滅亡した。

その後、二本松畠山氏は戦国武将の客分としてその命脈を伝えた。二本松義綱の弟義孝の代に至って姓を二本松として以後、二本松姓が正式となる。義孝ははじめ杉氏・蒲生氏郷・加藤嘉明ら戦国武将の客分となり庇護を受け、やがて徳川氏譜代の水野氏の客分となった。以後、水野氏の転封に伴い、諸国を転々とし、水野氏が出羽国山形藩に封ぜられたのに伴い、今日まで同地で存続する。

2009年05月02日

とんぼ玉

とんぼ玉(とんぼだま)は穴のあいたガラス玉(ビーズ)のこと。蜻蛉玉。 模様のついたガラス玉をトンボの複眼に見立てたため、とんぼ玉と呼ばれたともいわれている。

江戸時代には青地に白の花模様のガラス玉を『蜻蛉玉』と呼び、それ以外のものは模様に応じて『スジ玉』『雁木玉』などと呼び分けていたが、現在では模様に関係なく『とんぼ玉』と呼ばれている。

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とんぼ玉がいつ頃から作られていたのかははっきりしない。エジプトなどでガラスの発明から間もない時代に発見されており、古くから製法が知られていたことがわかっている。

日本では、吉野ヶ里遺跡から、勾玉とともに小型のとんぼ玉(ガラスビーズ)が出土しているが、これらはエジプトからの輸入品と考えられており、アジアを横断する交易ルートの存在を示唆する資料と見なされている。

正倉院には多数のとんぼ玉とともに製法を記した書物や原料も収蔵されており、奈良時代には製法が伝えられ、国内で生産されていたと考えられている。

奈良時代から平安時代初期には、とんぼ玉は厨子の装飾に使用されるなど、仏教美術と深く結びついていた。その技法は秘伝とされ、とんぼ玉に接することが出来る人間も限られていたと言われている。

江戸時代に、南蛮貿易を通じて中国のガラス技術とヨーロッパのガラス技術とが伝えられ、長崎などで安価なとんぼ玉が多数作られるようになった。

その結果、長崎の技法が江戸で発展したもの(江戸とんぼ玉)、アイヌ民族との交易用に作られたもの(アイヌ玉)、奈良時代からの製法で作られたもの(泉州玉)が庶民の手に渡るようになり、根付けやかんざしなどの装飾品に使用された。

しかし、とんぼ玉の製法は奢侈禁止令により明治時代には絶えたと言われている。 戦後に入り、江戸とんぼ玉や外国産のとんぼ玉を参考に復元が行われ、多数の現代作家のもとで作られている。

2009年04月18日

ジビエ(仏:Gibier)

ジビエ(仏:Gibier)は狩猟によって捕獲された野生の鳥獣である。

本来はハンターが捕獲した完全に野生のもの(Sauvage、ソバージュ)を指すが、供給が安定しない、また入手困難で高価になってしまうといった理由で、飼育してから一定期間野に放ったり、また生きたまま捕獲して餌付けしたものもドゥミ・ソバージュ(Demi Sauvage、半野生)と呼び、ジビエとして流通している。

ジビエのハンティングには大変気を遣う。銃弾によって可食部分が大きく損傷してしまったり、また内臓が飛び散って味が悪くなってしまってはいけない。また仕止めた後も、血抜きや解体といった処理を適切に行う必要がある。プロの猟師に求められる仕事である。

ほとんどのジビエは獲ってからすぐに食べるのではなく、数日をかけて熟成(Faisandage、フェザンダージュ)させてから調理する。

野生の鳥獣は冬に備えて体に栄養を蓄える為、秋がジビエの旬となる。これはジビエの胃の内容物を調べることで良く分かる。冬季にはジビエの餌となる果実などが減少するため、年越し頃から一般に肉質は低下する。古くから狩猟によって食料を得てきたヨーロッパの人々にとっては身近であると同時に無くてはならない食材である。

鳥類
マガモ(Colvert、コルヴェール)
血の色が濃く、野趣に満ちた味を持つ。雌の方が脂肪層が厚く、風味も強いとされている。ちなみにコルヴェールとは「青い首」という意味で、日本語の鴨の異名である「青首」と同様である。
家鴨(Canard、カナール)
鴨が野禽化されたものだが、ドゥミ・ソバージュによってジビエとなる。シャランデ鴨(Canard Challandaise)が特に有名で、雛を一週間飼育した後に二ヶ月ほど自然の中で生育させる。屠殺する場合は針を打って仮死状態にした後、窒息死させる。
ヤマウズラ(Perdreau、ペルドロー)

1歳以下の若鳥をペルドローといい、それ以上をペルドリ(Perdrix)と呼んで区別する。肉質は淡白な灰色のもの、野性味の強い赤色のものとがある。現在出回っているものはほとんどがドゥミ・ソバージュである。
キジ(Faisan、フェザン)
キジもポピュラーなジビエである。雄より雌の方が肉質が柔らかく、珍重される。なお、肉の熟成を意味するフェザンダージュはキジのフランス名に由来している。
ライチョウ(Grouse、グルーズ)
日本では天然記念物であるため狩猟できないが、フランスでは比較的よくみかけるジビエ。肉は赤身で独特の香りがある。
山シギ(Bécasse、ベカス/ベキャス)
肉質は柔らかく、ジビエにしては繊細。内臓が特に珍重され、付けたまま料理される。また、裏漉しした内臓をソースに加える料理も多い。非常に希少価値が高く、乱獲されたため、こちらは逆にフランスで禁猟となっている。
しょうや ムンバ イルラ 永遠の約束 ブースター サルフ 享禄 きんちゃく パンダル マネタリ アップ アート フラゲ ニュース 星かげ 月の宮 スタジ 野の花 リミット トラック 日本海 ケーソ ブラワサ じょうるり レビュー 未来世紀 ビッドレ オーバ ストーンカメ 女峰 ブッファ シャリン セイシェル ファイ シング スチーム ティグ バトル ストップ レーダー オーパーツ ブイエ デデリ ギブアップ ピラー 時計台 タネソウ サーチカヤ タイミ レジュ

獣類
野ウサギ(Lièvre、リエーヴル)
ジビエの中ではクセが強く、また肉質も硬くパサつきやすい。火の入れ方、スパイスやハーブの使い方など調理に気を遣う食材である。一匹を丸ごと煮込む、ロワイヤルと呼ばれる調理法が代表的である。また、血をソース(シヴェ・ソース)のつなぎに使って野性味を強調することも多い。一方家禽のウサギはラパン(Lapin)と呼ばれ、リエーヴルよりも淡白な味わいで知られる。
シカ(Chevreuil、シュヴルイユ)
クセの少ない淡白な赤身肉。ヨーロッパでは2歳位のものを使う。頭や首の急所を狙って一発で倒さないと暴れて肉に血が回ってしまうため、ハンターの腕が問われるところである。血抜きも即座に行わなくてはならない。
イノシシ(Sanglier、サングリエ)、仔イノシシ(Marcassin、マルカッサン)
日本では成獣を狩るが、フランスでは肉が硬くなるのを嫌ってまだウリ坊の幼獣を対象とする。味、料理法等は豚肉に準じる。

日本におけるジビエ
日本で肉食が始まったのは明治以降とされているが、それ以前に狩猟・肉食の文化が無かったわけではない。マタギやシカリといった猟師が鹿や熊、猪を獲っていたし、海から離れた山岳地ではツグミやキジなどの野鳥も食べられていた。ウサギを一羽二羽と数えるのも、鳥とうそぶきながら食べられていた名残である。そうした意味においては日本人もジビエを食べてきたと言えないことも無い。

フレンチ食材としてのジビエは1990年代の中頃から日本に輸入されるようになった。ピジョン(鳩)、コルベール、ペルドロー、フザン、リエーヴル、シュヴルイエなどがフランスから入ってきている。ただし全てがフランス産という訳ではなく、ベルギー、イタリア、スペイン、ドイツ、さらにはオーストラリアなどで獲れたジビエがいったんフランスに集められる。これは日本における検疫の都合によるものである。料理の鉄人で「ジビエ対決」が組まれるなど、知名度が上がってくるにつれてジビエ料理を出すレストランも増えてきている。

長野県や北海道では農作物のシカによる食害に悩まされていることから、生息密度をコントロールするために毎年一定量の捕獲を行っている。しかし捕獲されたシカが食肉として利用されることは少ない。例えば2006年に長野県で捕獲されたニホンジカ約9,200頭のうち、食肉となったのは820頭で僅か9%に過ぎない。大半はハンターに自家消費されたり、山中に埋設されたりしている。そうした中、捕獲したシカを「モミジ鍋」ではなくジビエとして消費を拡大し、地域振興につなげようという動きも出始めている。長野県大鹿村や、知床におけるエゾシカなどの取り組みが代表例としてあげられるが、近年は全国各地の自治体も取り組み始めている。